NO.17 琳派発祥の地「鷹峯」

鷹峯 光悦寺 本阿弥光悦のお墓

京都市北西部に位置する鷹峯は、江戸時代、本阿弥光悦がこの地に一族を引き連れて移り住み、その後芸術家や職人がどんどん集まったことから「芸術村」として京都の文化・芸術の一大拠点となった場所です。

本阿弥光悦は、画・書・工芸などあらゆる芸術に抜群のセンスを持ったマルチタレントであり、若き日の俵屋宗達を見いだしてコラボレーションをしたり、集まって来た芸術家達のプロデュースをしたりと、この地で伝統文化を愛し村の運営にも尽力しました。

俵屋聰達の考案した「たらしこみ」という水墨画の技法が、その後琳派作家達がよく使い、琳派の代名詞のようになったこともあってか、光悦が徳川からこの地を拝領したのが淋派の始まりとされています。

宗達が描いた鶴の下絵の料紙に光悦が書をしたためた「鶴図下絵和歌巻」は、13Mを超える絵巻物で、日本を代表する最高傑作です。

 



 

【Link】

光悦寺・・・京都観光naviホームページ

鶴図下絵和歌巻・・・京都国立博物館

本阿弥光悦の生涯・・・ あの人の人生を知ろう〜本阿弥 光悦 

琳派とは・・・wikipedia

 

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